漫画のハナシ  fire a surface-to-air missile, from nose
 
 
鼻ミサイルにおいでいただきありがとうございます。
 
東陽片岡作品に限らず漫画は一年中、毎日読んでいるので、他の漫画についてなども書いてみます。
独断と偏見ばかりの漫画への片想いですが、楽しく読んでいるということだけでもお伝えできれば幸い。
よろしければご覧ください。

 
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第一回 「恋の門」
 
第二回 「詩人ケン」

 
第三回 「仮面ライダーSPIRITS」
 
第四回 須藤真澄「おさんぽ大王」「庭先案内」
 

 
第四回 須藤真澄(「おさんぽ大王」「庭先案内」など)

 
◆ビビッドさに、ビビッと(僕もダジャレを言う歳ですよ母さん)
今回は作品単位ではなく「須藤真澄」作品についてさらりと。絵本のようなストーリーの中に、気取らないギャグやボケを差し込んでくれる漫画家さんです。
 
今回は作品単位でのストーリーとかじゃなく、この方の漫画の生き生きとした雰囲気と美しい絵柄にビビッときてしまったので、そこらへんについて書かせていただきます。
 
◆1本しか見ていなかった後悔
須藤真澄といえば、童話のような暖かいストーリーと、自身(と猫たち)を主役にした絵日記漫画の2本柱で人気、というのが僕の認識。
 
しかし、僕が目にすることの多かったのは絵日記漫画家としての部分でした。猫好きだということもあり、「ああ、あるある」など共感しながら読んでおりました。
しかし、もう1本の「柱」のほうも読んだとき、それ以上の衝撃が走ったのであります。
 
ストーリーと絵柄が一体になって、空気、香りまでをも発している。須藤真澄の世界が、紙媒体からあふれ出てきたのです。 
コミックビームより
物語と相まって引き立つ絵、描線。これぞ漫画
 
◆じゃあオレ、近所のおっさんAで
簡単に言ってしまうと「可愛い」「美しい」ということなのですが、その一言では何か足りません。普段、漫画や映画に対し抱くものとは何か違います。
当初は須藤真澄作品に抱く「それ」がなんだかわからず違和感を感じ、戸惑い、だからこそさらに衝撃を感じたものでした。
 
まずすごい、というか不思議なのが、色気はあるのにいやらしさの抜け落ちた絵柄。
例えばアダルトな漫画でなくとも、「可愛いな」「きれいだな」と感じたキャラクターが異性だったとき(一部、同姓が対象となる方もおられるでしょうが…)、その根底にはほのかな恋愛感情や、ある種のいやらしい気持ちも発生すると思うのです。
 
しかし、須藤真澄作品にはそれがない。少なくとも僕には感じられない。
それでいてなおかつ、色気というものはある。たっぷりとある。須藤真澄作品は、その実力をして矛盾を生み出してしまうほどの雰囲気を持っているのです。
 
例えば、一般の漫画や映画のヒロインに抱く感情、関わりたいポジションが「僕もヒーローの立場になりたいなあ」「お付き合いしたいなあ」という気持ちだとします。
では、須藤真澄作品のヒロインに対し取りたくなるポジションはというと「通りがかりのおっさん」「近所の八百屋さん」といったものだったりします。見返りとかそんなものは全く求めず、困ってるところを助けたり助けなかったりして「気をつけて帰れよー」と言うだけのおっさん。
そして、その親切の対象は可愛いヒロインに限りません。ヒロインのお父さんもお母さんも友達にも、みんなに対してです。老若男女みんな明るく、「日本のいい人」揃いのこの世界に加わって、「ありがとー」と言われるような良い事をしたくなるのです。
 
当初僕の抱いた違和感は、このあたりにあったのかもしれません。、ヒロインに対し感じたのかと思われた可愛いという感情は、実は作中のみーんなに感じたものでした。
きっとそれは、須藤作品の調和の力によるもの。絵柄のみ、ストーリーのみに頼るのではなく、絵とストーリーが互いに魅力を引き出し合っている。そして読者はキャラクターというパーツにではなく、その世界に対し「可愛い」と思う
 
これが漫画の力。小説、映画、絵画などにもそれぞれに魅力はありますが、絵とストーリーが相乗効果を発揮したとき、漫画は漫画だけが持つ光を発します。
映画が単なる連続した絵画ではないように、小説が絵の抜かれた映画などではないように。漫画は、漫画なのです。
 
こういった作品と、作家と出会うため、漫画読みは漫画を読み続けるのではないかなあ。
 
◆いい人ばっかり
いろいろ書きましたが、とにかくこの世界は浸る価値充分。見習いたくなる明るい人ばかりです。しかも生活感もあふれる描写なので、現実にもどこかにいい人はいるさ、とも思えてきます。お子さんだって人間関係にお疲れのOLさんにだって、きっと何かを感じさせてくれるはずですよ。
 
また最後に。綺麗な世界観を褒めまくってしまいましたが、絵日記漫画などを見るとご本人は普通の大人というか、それなりの毒もある方っぽいので逆に安心です。そこらへんのギャップも楽しいのではないでしょうか。
(それなりの、ってのもミソ。本業よりも私生活の場外乱闘のほうが主流になって、作品から醒めさせてしまう作家さんも多いですから…)
 
絵柄や作風は全く違うながら、リアルな生活観や下町を愛する漫画家さんでもありますから、このページに来られる方には強くお勧めできる作家さんです。是非。
 
リンク:須藤真澄・おさんぽ王国
 
第三回 「仮面ライダーSPIRITS」

 
◆少々、待ったぜ
実力派・村枝賢一が描く現代の「仮面ライダー」。
かつてのライダーが、かつての設定を生かしつつ現代の世界を守ります。
 
今回の主役は10人目のライダー「ZX(ゼクロス)」。
認知度の低い不遇のライダーですが、僕の注目ももちろんゼクロスではありません。
 
本郷猛が、一文字隼人が、風見志郎がっ! 再び僕らの前で宙に舞う!
ライダーたちが姿を消した平和なニューヨーク。かつて彼らとともに戦った「滝」が直面した怪事件。立ちふさがる奇怪な黒幕。 そして……闇を切り裂くヘッドライト!
「スマンな、滝…遅くなった」
僕たちのことも待たせすぎだぜ本郷さん! チクショウ! どこ行ってたんだよォーっ!
 
…さて、ここまででお分かりと思いますが、仮面ライダーを好きでない方にとってはいつにも増して駄文だと思います。ご了承ください。
 
◆杞憂、杞憂、また杞憂
こういった原作つき、しかも超名作の漫画化というのは難しいものです。
ただ捻りもなく漫画にしてもつまらないし、かといってオリジナル要素を入れすぎると「原作と違う」という不満の声があがる。
 
僕も不安でした。仮面ライダーを今風のスカした漫画にされても困るが、バタくさいものにするわけにもいかないだろうし、と。
 
村枝賢一といえば、その画力と感動のストーリー展開で知られる人気漫画家。
その彼が、うるさいファン(自分も含め)の多い特撮ジャンルに手を出して汚点としなければいいが、なんて心配もしていました。
仮面ライダーSPIRITS6巻より
・・・・いけっ(同調)
しかし…。杞憂! すべて杞憂! 少なくとも僕は、こんなに見事な原作付きの漫画化は見たことがありません。
 
原作の設定を生かしつつ、見事な画力で再現される動き。1号から順番に主役を交代しつつ展開されるストーリー。
そのどれもが泣かせる展開とともに彼らの力強さを表し、ページ全体から「待たせたな!」というメッセージがぶつかってきます。
 
そして読む者の、おそらくほとんどは気づくのです。これは仕事で描いてるんじゃない、と。
「そうか、村枝さん…あんたは、あんたも、ライダーに『大切な何か』を教わったクチなんだな!!」…と。
 
◆愛の戦士、愛の漫画家、愛の読者
この作品からは、作者が楽しんで、ノって書いていることが全編から伝わってきます。
子供がその思いのままにクレヨンで描き想像した世界が、一流の技術を伴って表現されているのです。
 
全てのページからあふれる「みんなは仮面ライダー好きか? 俺は大好きだ」という作者からのメッセージ。そして、今どきとんと描かれなくなった「愛と正義」というテーマ!
愛の戦士仮面ライダーの勇姿が、あふれる愛で描かれた作品。そしてその愛を共有する読者。できれば現在の子供たちにも読んでみて欲しい思います。
 
◆もうひとりの戦士・滝和也!
そして「愛と正義」のテーマを読者に代わって語り、目の当たりにしてくれるのが準主役とも言えるFBI捜査官「滝和也」。
 
テレビ放映時はサニー千葉(千葉真一)の弟さんが演じ、「なぜか日本にばかりいる」「とりあえず戦闘員をバッタバッタやっつける人間」としてよくわからないままに活躍した彼ですが、この作品では彼の熱さ、シンプルさが非常に重要な役割を果たしています。
 
改造人間の悲しみを抱えた仮面ライダーたちに
「お前らだって人間だろうが」と一刀両断する滝。
 
仮面ライダー1号2号とともに戦った先輩として
「どこまでだって強くなれる。テメエが『仮面ライダー』であればな」
とゼクロスを叱咤し、導く滝。
 
生身の人間である滝は多くの場合苦戦を強いられ、仮面ライダーに助けられますが、それでも彼は自分にできる最善を尽くそうとします。
 
恐らくは勝てないのに、正義のため、人々のために立ち向かう滝の姿は、この戦いを「仮面ライダーvs悪の組織」という他人事ではなく、我々が立ち向かうべき脅威として捉えさせるのにも一役買っています。
正義とは、仮面ライダーにしか体現できないものなのか? 僕が仮面ライダーだったら…と言う前に、今のまま貫ける小さな正義や親切があるのではないか?
 
「世界を動かさんと欲するもの、 まずみずから動くべし」(ソクラテス)を体現しているかのような滝なのです。
 
何も大きな行動でなくても、明日は列車でお年寄りに席を譲ってみようか。いつもより明るく挨拶してみようか。彼の影響でそんなことに思いを馳せる人がいたら、きっと我が事のように喜んでくれることでしょう。
 
またこの滝ときたら、人々の窮地に現れる仮面ライダーを迎える時に、毎度毎度最高の顔をしています。
「来るのが遅えぞこの野郎」とでも言いたげな、信頼のこもった不敵な笑み。
それまでの窮地による引きがあってこそ盛り上がるシーンなので、ここはぜひ単行本などで見ていただきたいと思います。
 
ちょっと収まりきれませんね。滝だけで長くなってしまいました。
それぞれのライダーについても書きたかったのに。
 
とにかくこれを読もう。お友達がいないとか、悩みのある少年少女もまず読んで! たぶん道徳の教科書よりも何かが伝わってくる! テーマとか魅力とかがよくわかんなかったら呼べ! 近ければ行く!  大きなお友達でもOKだ! 僕でよければ丁寧に語ります!(迷惑)
 
……オーケイ、オーケイ。大丈夫。もう冷静さ。僕ときたらまた熱くなってしまったようです。
ともあれこの作品はまだ連載続行中ですし、また書きますね。イヤでもまた書いちゃいますよ。ええ。
 
あ、言うまでもないですが、僕の夢はいまでも仮面ライダーです。




「あ、兄貴、今日、東陽片岡のページで仮面ライダーに熱くなってるやつを見かけたよ」
腐ったもんで食ったんだろ。食って大丈夫かどうか、そのへんのラインを見抜けねえのがシロウトなんだよな」
 
第二回 「詩人ケン」

 
◆腹が減っては詩人はできぬ
タイトルの通り、詩人「ケン」の物語。業田良家の名作です。
主人公「ケン」は詩人。と言ってもメジャーでもなければ定収もなく、妻の「ルル」、二人の間にできた赤子「ランボー」とともに安アパートに住むモヒカン兄ちゃんである。
 
ケンはことあるごとに詩を頭に思い描き、詩を作るためなら多少の危ない橋もいとわない。それでいてカッコ悪く生きていくことの大切さ、カッコ悪い場面も人生にはあることを知っている。知らされて反省する。
 
例えば第一話。詩を作るためにルルを置いて旅に出るケン。偉大な包容力でそれを送るルル。
しかし夕方になると空腹に耐え切れず、食堂に入り丼物を注文。金のないケンはルルに迎えにきてもらい、謝りながら帰宅する・・・。
カッコ悪い。だがそれが詩人ケンだ。
詩人ケンより
答えを模索する詩人ケン
またこのエピソードに限らず、カッコ良くてカッコ悪いケンを全編において支える妻・ルルの存在も見逃せない。
あまりにもおっとりとした彼女の心は時としてケン以上に現世を離れ、心に鎧を纏わないものだけが持つ鋭さを見せる。
その言葉にケンは時に目覚め、時には「オレよりカッコいいこと言うなー!」と嫉妬するほどである(笑)。
 
◆詩人を磨く人、事件
ケンはそんなルルとともにさまざまな人と出会い、笑い、泣き、怒る。
教祖となって金を儲けるかつての友人。「北」から街に撃ち込まれるミサイル。政治結社との邂逅。義憤のために命を捨てようとする病身の老人。意外な一面を見せるホームレス・・・・・・。
 
「愛って外人さんのものやもん。うち日本人やから 情をかけてもらったらええよ」
「やっぱあーたおっとろしい人や」
「あの人は行ったよ 銃持って」
「ケンさん あんたに宿題……」
「あんたは…絶望してるんだ」

 
決して社会の上位とは言えない、だがそれぞれの信念の元に「世界」と関わる彼らはケンに惹かれ、同時に重い課題を残していく。
それらに対しある時は悠然と構え、またある時はなすすべなくうろたえる詩人ケン。
その様には、「詩を創る」などという言葉では表しきれないものがある。
 
作中に出てくる読書家のホームレス、シゲさんの何気ない言葉が思い起こされる。
シゲ「(詩が)好きだよ。中原中也に高村光太郎。短歌では土屋文明、春日井健。 それに 詩人ケン」
ケン「やめてよ、俺の詩読んだことないくせに」
シゲ「ワハハハハハ」
作中ではさらりと流されたひとコマだったが、読了後に重みを増してくる場面である。
ケンの詩は言葉や文字数で辻褄をつけるものではなく、ケン自身の行動を持って体現されるもの。シゲさんはそれを感じていたのではないか。
 
◆「俺の一番の宝石は ハハ…言っちまうか ルル おまえだ」
物語の最後、舞台は一気にケンとルルの中年時代に移る。
不思議な人望と溢れる創作意欲を抱える若者が、現実の中でもがき、手に入れた生き方は? 「詩人」であることに引退は訪れるのか・・・? 詩人ケンの詩は、生き方は誰を救うのか・・・?
 
「どんな旅であっても 親からの餞(はなむけ)の言葉は たったこれだけなのだ
お前が生まれてきたとき 父さんと母さんは 嬉しかった と」

 
「夢だけじゃ生きていけない」という言葉を肯定的に描いた良作。オススメです。
 
追伸
あらすじ、引っ張って終わりかよ! と思われるかもしれませんが、なにもかも書いちゃうのもあれなんで。ぜひ購入してお読みください。
やっぱり気になってしょうがねえよ! って人はメールでもいただければ簡単にお知らせします。
 
あと、前回を引っ張って恐縮ですが、「詩人ケン」映画化しないでね。>仕事で映画作ってる人たち
作っても売れないでしょうし、おやめになったほうがいいですよ。売れるようにしたら内容変わっちゃうだろうし。
 
自主制作とかで元気に作られるなら応援したいですけどね。むしろエキストラで出させてください。
余計な心配すみませんでした。では失礼します。
 
第一回 「恋の門」

 
◆映画化で一躍メジャーに
最近(2004年11月)映画化されたので、ご存知の方もいらっしゃるのではないかと思います。
羽生生純という漫画家さんの、漫画に情熱を燃やす変わった人たちを描いた作品です。
この羽生生純の作品、前作「ワガランナァー」も含め、社会の決して上のほうではないアウトローを描くというところでは東陽片岡に通じるところがあるかも。いやむしろ、スクリーントーンも使わずインクたっぷりの絵柄のほうが近いか。
 
お話は「石の配列により『漫画』を描く」という変わり者の主人公「門」と、オタクな恋人「恋乃」を中心に進みます。
 
主人公が恋人のために「石の漫画」をあきらめたり、恋敵が現れたり、まともに(ペンで)漫画を書いてみたら高評価されちゃった門に恋乃が嫉妬して亀裂が入ったりといろいろあるわけですが、それらは全て二人の成長の糧となっていく。
 
この作品はそれ自体もいい出来ながら、僕にとっては「へー、羽生生ってこういうのも書けるんだ」って思わせてくれた貴重な作品。
 
それまでの作品は独特の絵柄と勢いに任せたものが多く(僕の勝手な評価)、超常現象やブッとびすぎた人間たちで構成されていたのです。ですが、この作品で描かれるのは我々の住む普通の世界。漫画・同人誌業界という一般とは隔絶された感のある世界ながら、異世界ではありません。
コミックビームより
現在連載中の「青-オール-」
この絵柄と作風で「現実世界」を描いたのは作者の希望か、それとも掲載誌であるコミックビームの英断か。
なんにせよ、これにより羽生生はイロモノだけの作家ではなくなり、独特の迫力を醸し出してまいりました。「バカルン超特急(※)」の頃とは大違いですな。
 
(※)原作・竹熊健太郎でゲーム雑誌に連載されていた羽生生漫画のギャグ。
竹熊がアホなことを言うと「バカルン超特急〜!」と叫びつつ編集者(国領さん)がドリル回転ドロップキックを喰らわす。
まあ要らない知識なんで、適当に流してください。
 
◆映画化の憂鬱
「恋の門」で羽生生純は新たな評価を受けるようになりました。現在同誌で連載中の「青」も話題作になることは間違いないでしょう。そうなると次は「落とし穴」に気をつけるばかりです。
 
羽生生純は、くだらないギャグと汚い絵と狂人たちと同時に、「普通に生きてる人も偉いよね」ということも描ける漫画家。
だから、問題作となるであろう「青」の次あたりには、また不条理で汚い世界を描くことを期待しています。
 
いろいろな世界を描けるからこその羽生生。周囲としては彼を「大先生」に仕立て上げて儲けていきたいのでしょうが、それでは魅力は半減、いや9割減してしまいます。ここが当人の踏ん張りどころです。
 
◆ぶっちゃけ原作だけ見よう
はじめにも書いたとおり、この作品は映画化されました。
まだ見ていないので決断は避けますが、最近の邦画に溢れている、
「独特の色使いや変わった人たちで展開する映画ってオシャレだよね〜ん」というサブカルの臭いがします。強くします。
 
いや、それはいい。それはいいんです。見たい人は見ればいい。
作った人間すらわかっていない映画を、観る側が頭の中で補完して楽しむという映画もあります(この映画がそうかは知りませんが)。
ただ、そのようなお遊びの中で羽生生という資源に形を与えないでほしい。
いまどきの邦画にいい原作を使わないでほしいです。もういいじゃないっすか。オリジナルストーリーで。
麻薬中毒少年とか外国人犯罪者とか、ミュージシャンを目指して失敗した若者とか描いて「社会が悪い日本が悪い大人が悪いわーわーわー」って善良な国民に責任押し付けて終わりでいいじゃない。
盗んだバイクで走り出して、それを大人のせいにすればいいじゃない。
 
羽生生の原作は奇をてらっていて珍妙だが、結論や断定から逃げてはいない。「漢と書いてオトコと読む」漫画です。
逆に完全に再現しちゃったら、喜んでサブカル見てる人たちには不愉快な映画になると思うなあ。アツいもの。
 
・・・・・・僕のほうこそ少しアツくなりすぎ、しかも羽生生に限らない話になりましたが、そんなわけで、原作はおすすめ。
「やっぱ原作版だよなー」とかマニアぶるのも好きではないのですが・・・ジレンマ。勘弁してやってください)
 
最近、自分の部屋でケーブルテレビが見られることが判明したので、無料で見られるときには僕も見てみます。
そのとき「見直した」なんて言えるといいなあ。
 
追伸
恋の門の前作「ワガランナァー」はホームレス4人組の無軌道な活躍を描いた漫画です。
このサイトにわざわざお越しになるホームレスフリークは必見! ・・・うん、多分。
 
リンク:hanyu-New ハニュ-ニュウ
 
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