御茶ノ水近くの幽霊坂。
僕のような田舎者にはびっくりのいかした地名。
難しいことをわかりやすく、わかりやすいことを難しく
単語で
語ります
 
ようこそいらっしゃいました。
ここは、単語のお題をもらったり、自分でひねり出したりして語ってみる場所です。
 
知らないこと、わからないことは無理やり違うほうに持っていき逃げたりしますが、気を抜いて読んでください。
友達の家に泊まりに行ったとき、眠くなっちゃって適当な返事をしているときくらいのけだるい感じがいいかもしれません。

 
単語のお題も随時募集しています。

過去のもの(1〜14回)はこちらから

現在の単語 チョロQ仕事吉田秀彦時間管理映画←New
  番 外  言霊・名前宇宙捏造疑惑
非常に長いページですが、10〜20回くらいで別ページにまとめます

第19回: 映画
ものすごく久しぶりです。
忘れていたこのコーナーですが、「単語のやつは更新しないの?」というご意見をいただきまして。
最近はじめた「鼻ミサイル」の漫画のハナシは結構更新しているのですが。漫画が好きな方はおいでいただけると幸いです。
 
さておき。今回は「映画」です。皆さん映画観てますか? 観てますか。うんうん。
かつては(今も?)娯楽の王様と言われ、様々な物語やスターを生み出してきた偉大な文化のひとつですね。
 
で、僕はあんまり見てません(えぇーっ)。
 
映画か嫌いとかじゃないですが、レンタルビデオ店が盛況な現在、1年のうちに見る本数はいいところ平均かそれ以下ではないかと思います。
1人でビデオを借りて観ることって、ほとんどないのですよ。どうせなら映画館に行くか、テレビで流される映画を観ています。
映画館まで行けば、せっかくだから集中してきちんと観る。テレビなら、他のことをしながらだらだらと流しっぱなしにできる。
でも、レンタルビデオだと仮にもお金を払っているのだからちゃんと観なければいけない、けど2時間もの間、何もせずにいることに耐えられない…という状態になってしまいまして。
 
本を読んだりゲームをしたりするのは平気なんです。むしろ集中しまくってどんどん読み進める。
でも、自分の部屋でひたすら受け身にビデオを見るということに耐えられないのです。
小学校の頃からそうでした。通信簿に「鈴木くんは集中力がありません。外ばかり見ています」と書かれたものです。
実際には集中力がないのではなく、自ら「お爺さんの木」と名づけた屋外の大木に語りかけていたのですが…まあ、病院に連れて行かれると困るので詳しくは伏せます。
 
でも、テレビで流される映画はむしろ好きだったりします。気楽だし、何よりも自分の好みの映画とは限らない、というのが逆にいいですね。
映画館やレンタルだと当然ながら自分の好みで選ぶわけですが、テレビだと選択の余地がないので、全く意識していなかった映画とかに出会えるんですよね。
 
特に、深夜に放映される、レンタルビデオ店にもないようなB級はたまらんときがあります。
僕が一度だけ観て、タイトルもわからないまま記憶に残っているのは変な無人島もの。
他のことしながら観てたので、いろいろ間違っているかもしれませんが、ちょっとご説明。
 
無人島に住んでる変な男(以下悪者)に、旅行で来た(?)男女数人が捕まってしまいます。
目的はわからない(ちゃんと観てなかったから)のですが、島から出してくれません。
そしてまあ脱出を図ったりわあわあやって(いいかげん)時間が過ぎるわけですが、ラストシーン、地下牢から脱出しようと進む主人公達を前に悪者が「こいつのためにやっていたのだ!」とか絶叫する…。
で、その「こいつ」ってのが伏線も何もなく現れた半魚人みたいなモンスター。しかも造形がヘボい
 
悪者はその半魚人を可愛がっている、または崇拝している感じだったのですが、2人の間に信頼関係はなかったのか、悪者自身が襲われてしまうのでした。
脱出できてよかったよかった。とっぴんぱらりのぷう。
 
えー、説明というほどのものではなかったですが、記憶に残っている唯一のことは「サイコな映画かと思ったら、いきなりモンスターが出てきた」ということ。ちゃんと観てたら伏線があったのかもしれませんが、少なくとも僕はわかりませんでした。
ネットで「半魚人 映画 無人島」とか検索したこともあるんですが、未だ謎なんですよねあの映画。どなかたご存知ないですかのう。
 
ともかく、怖いの(特に残酷なスプラッタ)は苦手なのですが、ああいう突っ込みどころの多い安そうな映画は観ていきたいです。
 
明らかに適当につけられた邦題の映画とかもいいですね。ランボーのパクリのB級「ランボー」とか借りておけばよかったかなあ。
 
映画って、大人数で作る割りには「これ、途中で誰か止めなかったのか!?」っていうデキのものも多いので、どうにか騙して売ろうと日本の配給会社が苦労している場合もあるそうです。そういう苦心の跡でもあるんでしょうね、トホホな邦題。
 
前述した通りスプラッタなどは苦手ですが、「最低映画館」というサイトは最高に面白いです。
僕だったら本気で怖がるであろう映画を、膨大な情報とともに笑い飛ばしてくれます。おすすめ。
 

第18回: 時間管理
固いお題がきましたねー。時間管理。お題だけで軽く緊張しますね。
 
僕は時間やスケジュールについては周囲に随分助けられてきたので、あんまり偉そうには言えません。
昔から遅刻や寝坊などはほとんどしないタチなので、だらしなくはないはずなのですが、社会に出てからの時間管理となるとまた別ですから。
このお題をくれた友人も、最近では転職し新しい生活に頑張っているようです。
 
さて。時間管理って、遅刻するとかしないとかそういう単純なものではなく、ひとつしかない体をどううまく使うか、ってことなので大変ですね。
 
手元にある時間管理の本には
「目標は挑戦的であるべきだが、達成可能でなければならない」とあります。
お仕事は達成できないと困るので、これは当然ですね。
チキンレースのように、限界を見極めることが求められそうです。
 
大別すると人間のお仕事や業績には
「達成すべきこと」と、「ノルマはなく、あるがままや挑戦ぶりを見てもらう」ものがあります。後者は冒険家とか芸術家とかですかね。
 
でも、そういうのってどれくらいすごいかがわからないから微妙ですよね。驚くのにも予備知識が必要というか。
よくテレビで「○○氏が××横断を達成!」とかやりますが、正直どれくらいすごいのかわかりません。
 
秘境探検とかならともかく、日焼けしたおじさんに「ヨットで○○横断」とか言われても、
「楽しそうだなあ」とか「すごい装備のヨットだなあ」としか思えなかったりします。(すごいんでしょうけど)
 
これは僕だけに限らないと思います。こういう形のない業績って、好きな人にしか意味がなったりしますよね。

先日テレビで見たのですが、ある音楽家の方が「こちらのおかげでイメージが湧きました」と言って神社にご自分の作品の奉納をしていたんですよ。
でも、正直、神主さんも微妙な顔してました。芸術家さんや作家さんとしては感謝の気持ちなのでしょうが、神社としては十円でも百円でもお賽銭のほうがありがたいんでしょうね(笑)
 
贈った芸術家は「お金より素晴らしいものを送ってあげた」と思いこみ、送ってもらったほうは「う〜ん・・・」と苦笑いする不幸な状況。
ちなみに、みうらじゅん氏はこれを
ありめい(ありがためいわくの略)として意図的に行っているそうです。関係ないところに坂本竜馬の大きな油絵を送ったり、失恋した友人にダルマを贈ったり。
ハイソな方々の活動を笑い飛ばす氏のセンスにはあいかわらず脱帽です。
 
で、時間管理について。お仕事が終わらないと困りますし、行き過ぎた冒険では危険です。プレゼントだって、相手がどういうものを求めているのかをよく考えねばなりません。
お仕事にしろ贈り物にしろ、相手や自分の状況を見極め、ちょうどいいラインを選びださねばなりませんね。

・・・どう?お題と関係ある締め?
書きにくいよ!時間管理!(Tさんへの八つ当たり)
 
単語をくれた人の言葉・・・余ってるパソコンのパーツない?(Tさん)
熱を出したそうで。僕も1年振りに風邪をひきました。お父さんなんですから、ご家族のためにも健康にお気をつけて。
あと、ご希望のPC余りパーツないです。ごめんなさい。君の求めてるの結構新しいやつだし。そんなのはお金のある人に言っとくれ(さめざめと泣く)。

第17回: 吉田秀彦(柔道家)
二人の方からいちどきにお題をいただきました。更新していなかったので、尻を叩かれたという感じです。頑張ります。

さて。お題、「吉田秀彦」。柔道の金メダリストですが、現在は他の格闘技とも戦う「格闘家」として活躍されています。
僕もテレビで見ましたが、すごい活躍ぶりですな。吉田さんや柔道を応援している方々には失礼ながら、僕ははじめ、吉田さんがここまで強いとは思っていませんでした。
だって、柔道で世界一になった人ですから、思わず柔道のクセとか出そうじゃないですか。
例えば。
・思わず襟を取ろうとしたら相手が裸だった。で、ガツンと殴られる
・相手を投げ飛ばして「一本!」とガッツポーズを取ったら後ろから殴られる
・30秒押さえ込みをして「一本!」と立ち上がる(また殴られる)

まあ、こんなんはさておきまして。
オリンピックという公式競技の世界を極めた上で、異種格闘技の世界でも第一線で活躍する吉田さんは凄い。マンガの人みたい。
昔のスポーツマンガとかでよくありませんでした?別のスポーツで天才と呼ばれた男が転向して大活躍、とか。

こういう話題で思い出されるのは、マンガ雑誌「コロコロコミック」で1985年前後に連載していた「あばれ!隼」という野球マンガですね?(強要)

念のため振り返りますと、「あばれ!隼」(以下、あばれ)では、主人公・隼 次郎が野球部員だった兄の死をきっかけに、有望視されていたボクシングを捨て野球部へ、というところから始まるインチキ野球マンガです。

隼が突然ボクシングを捨てると言い出したことに怒るボクシング部顧問。それをどうにか説得した隼だが、野球経験のない隼の力は入部テストにさえ通用しなかった。そこへ駆けつけ、叫ぶボクシング部顧問!
「俺はお前にボクシングをやめてもいいと言ったが、ボクシングを忘れてもいいとは言っていないぞー!」

その言葉に目覚め、ボクシングのパンチをを応用したピッチングをする隼。(砲丸投げみたいな投げかた)そのパンチ力をこめたボールは超高速で大木にぶつかり、
大木をなぎ倒すのであった・・・。
 
異常が、もとい、以上が「あばれ隼」第1話のあらすじです。
この後登場するチームメイトも見逃せず、ケンカ自慢の
番長のパワーを生かしての大活躍や、知識でサポートしていたメガネ君(野球部員じゃなかった)がキャプテンに大抜擢など、もとから真面目に野球をやっていた部員をないがしろにした展開も見逃せません。
ほかにもライバルとして
柳生忍者の末裔、柳生くんというキャラが現れるなど、魅力あふれる作品です。(柳生くんは剣の達人)
本当に才能のある人は別の種目も極めることができるんですね。

でもこの流れで言うと、プロ野球→プロレスラーというジャイアント馬場さんのほうがジャンルがかけ離れてて、吉田さんよりすごいかも。
馬場さんの16文キックを受け止めて、「効かねえぜ!ウォー!」って感じのパフォーマンスをした外国人プロレスラーは2度と日本に呼んでもらえなかったそうですから、ある意味最強だし。

すみませんオチはありません。探さないでください(またか)
単語をくれた人の言葉・・・さあ、語ってもらいましょう!(S・Aさん)
すみません、更新遅くて。Aさんとの格闘技話はいつも楽しいです。


第×回: 捏造疑惑(マスク2号写真初掲載)
おそろしく久しぶりに更新です。

今日、メールマガジンもこのホームページも見てくれている貴重な友人からご意見をいただきました。

「あの『単語で語り合います』って新しいコーナー、
本当に誰かとチャットしてるの?

え?

「いや、あれって
一人で作ってるんじゃないかなって」

・・・彼が言うには、「たぶん、他の人もそう思ってるよ」とのこと。
というわけで、念のため僕のチャット相手にして助手、マスク2号の素顔を初公開しておきます。

どうぞ!





















あっ。
どこかで「マスクの色が変わっただけじゃねえか」という声が聞こえましたよ。

違います。ちーがーいーまーす。
僕はこれ。




ね?マスクの中身が違います。
僕のほうが優しい目をしています
(わかりません)

こんな弁解をしなくても、二人でやっているということ、わかってらっしゃると思いますけどね。会話がズレてるから。


第×回: 宇宙
こんばんは。今日は、お休み中一人でなんとなく思ったことなど。
なんの知識もなく思考をできるだけそのまま書くので、話がトんでいるかもしれません。

さて。
僕は特に宇宙に関する知識はありませんが、ときどき自分なりに宇宙、というかこの世について考えます。
宇宙は広いというが、どこまであるのか。さらに外に別なところがあるのか。終わりがないというのならどうなってるのだろうか。
また、「はじめは何もなかった。無だった」と聞いたこともあるが、それは「無」ではないのではないか。

何もないところからあると急に宇宙が広がり始めたとしても、そこには宇宙を生み出す卵なり種子なりがあったはず。真の無というのはそういう「可能性すらもない」ものだから。それと、もし宇宙が誕生しなかったら代わりにこの世に置かれていたものは何だったんだろう?

・・・こういうことを考えていると頭の中に心地よい不快感、とでもいうようなものが訪れます。
まあ疑問自体は子供っぽい(子供の頃から解決してないですもんね)ものですが、同時に、急に体を使ってやりたくなって腕立て伏せなどを始めたりします。昔、思想や宗教を修める課程で人々が体を鍛えた理由のひとつがわかる気がしてきます。

かっこつけていても、運動すれば疲れます。殴られれば痛いし、そのうちお腹もへる。
宇宙だのなんだの、逆立ちしてもどうしようもないものについて考えていても、苦しさや疲労が自分を現実につなぎとめてくれる。ほんの少しの運動で疲労してしまう弱さが、自分の小ささを教えてくれる。
精神にしても弱い。人と一緒にいると疲労するし、一人だと寂しい。

運動すれば疲労するところも、お腹がすくところも、単体では生きていけないところも全て宇宙の摂理の一部であるところの人の仕組み。僕の生命活動で、宇宙に逆らっているものは何ひとつない。
頭で偉そうなことを考えながら、体で自分の小ささを思い知る。腕立て伏せをしながら、わずかな宇宙との一体感を感じる。

台風でお外に出なかったので、こんな風に今週末を過ごしました。


わー、この人気持ち悪い。
いや、ときどき一人で適当な思索を楽しむというか、それだけで、病気とかじゃないですから。悩みとかないですから。本当に。
読み返してみたら異常っぽいですね。書く前に気づくべきでしょうか。

第×回: 言霊・名前
先日、お客さんの会社に行きまして。打合せも終わり、エレベーター待ちでぼーとしてると後ろから
「鈴木さん、体大きいですね」と声をかけられました。
振り向くと、初めて見るお嬢さん。制服から、その会社の方だということはわかりました。
「いやー、体ばかり育ちまして」と返事し、エレベーターに乗り込む僕。

・・・なんてことのないやり取りのようですが、蚤の心臓はすでにドキドキ。
お前だけだ、と言われるかもしれませんが、知らない人が自分の名前を知っていると戸惑いませんか?
これが、「体大きいですね」なら、僕でも平気です。
しかし、「
鈴木さん、体大きいですね」と名前が頭に付くだけで、僕は彼女に一歩負い目というか、アドバンテージを取られているのです。
「僕は貴女を知らないのに、すでに名前を知られているの?」
「知ってるのは名前だけ?僕の忘れたい記憶とか知ってない?」
とか考えてしまいます(重病)。

まあ上記は極端な(病人の)例としましても、誰でも少しはこのような傾向があるのではないでしょうか。
相手のほうが個人情報を多く知っている事に対する不安や負い目。
 このようなことに昔の日本人なりに理屈を付けたのが言霊(ことだま)ではないかな、と思いました。
また、魔法使いが活躍する物語・ゲド戦記でも、魔法使いは普段名乗っているもの以外に「真の名前」を持ち、それを他人に知られると支配されてしまう、という設定でした。これもまた、名前というものの重要性に目をつけたから生まれたものではないかと思います。

・・・理屈をこねてみたものの、鈴木なんてありふれた苗字を知られて負い目を感じるのはどうかと思いますが。

苦悩は続きます。冒頭のお嬢さんは同僚の方から僕の名前を聞いたのでしょう。何の不思議もありません。でも、ということは何か話題にのぼったんですか、僕。
自分が噂にのぼるときはいい噂でない、ということにかけては自信があるので、さらに広がる不安。
たぶん給湯室で・・・。
「あのでかいのなんていうのよ?」
「あー、鈴木、鈴木。」
「へー。鈴木でかいね、って今度言ってみよ。
他に感想ないし

・・・あぁ。もうお外に出たくない。

追記
上記の会話は鈴木の被害妄想が作ったもので、そういうやり取りをしそうな人に見えたのではありません。きっと違います。
(もし正解でも知らせないでください)
実際は愛想のいい、感じの良いお嬢さんでした。僕だけ名前を知られているのは不公平なのでお名前を知りたいです。
直接聞く勇気はないので念力とかで知らせてください。

第16回: 仕事
仕事・・・。難しいとこ来ますねえ。いや、言葉が難しいというか、「仕事とは」とか偉そうに語ってるみたいになるのが怖いだけなのですが。でもまあ、気楽に書きます。
 
 仕事という単語で思い出すのは、僕のお世話になっているなぎなた(薙刀)の先生の、「生活の糧を得るための労働と、人生においてするべきことは別なこともある」というお言葉です。
 先生のお言葉を借りるまでもなく、世の中には仕事に打ち込んでいる人もいれば、仕事以外の所に自分の居場所を置いている人もいます。もちろん、どちらにも傾かず楽しまれている方も多いでしょう。
 どちらにも打ち込んでる人もいる、とも思われるかもしれませんが、「どちらにも打ち込まない」はあっても、本当の意味で「どちらにも打ち込む」というのは無理だと僕は思うのですが。「打ち込む」というものは、二つも三つも並行できないだけの重さを持つもので、複数のものをこなしているようでもそれらには必ず主と従が存在する・・・というのは僕が不器用なだけでしょうか。

 ちなみに、前述の先生が僕に薦めてくださっている生活は「食べるだけの野菜を自分で作り、残りの時間を武術と読書に使う」という、まさに晴耕雨読なのですが、ちょっと遠慮しています。まだまだ見たいことややりたいことが多いので。先生も僕の生活に対しおっしゃりたいことはたくさんあるようですが、強制はせずに認めてくださっています。
 などと言いつつ、都会の生活になじめない自分を実感すると「晴耕雨読もいいかなあ」とか思うのですが、かといって人里離れて仙人のように暮らすだけの強さもないので、消去法により街で暮らしている次第です。
←どちらにも打ち込めない人発見
 
 話を戻しますが、仕事という言葉への印象は学生時代と現在でもずいぶん変わりました。就職というものをしてみるまでは、学生時代が終わったら強制的に苦役につかされ、それが死ぬまで続くと考えていました(少しだけ誇張)。というのも、テレビや本ではやたらに働く人おじさん(特にサラリーマン)たちを「かわいそうな人」「社会の歯車」として扱っていたからです。
 でも現在、実際にその「働くおじさん」たちに出会ってみると、むしろ多くの人が仕事にやりがいを持っていきいきとしている。そりゃ遊びではありませんから、お話を聞けば愚痴や文句のひとつもあるでしょうが、少なくとも終業時間を心待ちにしているような人にはあまりお目にかからない。これは鈴木やノラコミがたまたまいい人とお付き合いしている、というものあるかもしれませんが、今では「がんばっている人」って結構多いと思っています。

 フリーターが増加している問題も、無意識下に鈴木と同じような刷り込みがあるためではないでしょうか。「君らの未来は夢も希望もないサラリーマンだ」というような物語や歌が多すぎますもの。反して「がんばっている人を応援します!」というようなCMでは、若い兄ちゃん姉ちゃんがサーフィンやったりライブで歌ったりしてる。いやいやいや、趣味は否定しませんが、働くおじさんのほうが頑張ってますって。
 ですから別に嘘をつけとは言いませんが、仕事にやりがいを持ち、充実している大人も多いという事実だけはもっと伝えたほうがいいのではないでしょうか。若者が未来に希望を持てず、壮年者が自殺してしまう世の中に未来はありませんから。
 それでもなお、いわゆる遊び(旅行でもスポーツでも飲み会でも)という分かりやすい「楽しさ」しか実感できない方もおられるとは思いますが、そういう方はそういう方ということで、まあ。「かっこいいおじさんたちもいる」と紹介しているだけで、僕自身もまだまだかっこいい側の人間ではありませんし。

 人間はわがままなもので、「かっこいい」こと以外はしたがりません。でもだからこそ社会のあちこちに眠っているかっこいい存在を知らしめる事で若者の選択肢は簡単に広がるのではないでしょうか。
 映画スターや宇宙飛行士はもちろんかっこいいですが、それらに「しか」かっこよさを見出せないのはちょっと幼い。普通の場所・普通の職業の中で頑張っている人のかっこよさを発見できることが優れた想像力であり、それを持てるようになった人もまた「かっこいい人」だと思います。

追記
僕の言っている「かっこいい人」は、覚悟とか魂のレベルの話です。ダンディなかっこいい人を想像しておられる方、ごめんなさい。
それから、「プロジェクトX」ほど盛り上げるつもりもないのです。あれはあれでかっこよすぎて。
僕の「かっこいい」像は、「蓬髪でボロを着てるけどひとたび刀を抜いたら強い」タイプ。藤沢周平の世界。

単語をくれた人の言葉・・・なんとなく古畑任三郎を思い出すページです。「論理的思考を発揮する今泉くん」目指して頑張って。
(J・Tさん)
どうしてストレートに田村正和に例えてもらえないのでしょうか。悲しい反面、「僕をよくわかってるなあ」と思ってしまいました。

第15回: チョロQ
チョロQ。大好きです。僕が小学生の頃からありましたから、かれこれ20年くらいの付き合い。
(チョロQをご存知でない方のために。チョロQ公式サイト

 ゼンマイを巻いて、手を離すと走る。それだけのことなのですが、鉛筆をたててボウリングのように遊んだり、どのくらいの角度まで上れるか下敷きで坂を作ったり。いつも小学生時代の文房具とセットで遊んでいた記憶があります。
 今でもチョロQは人気商品ですが、最近では子供だけのおもちゃではなく、子供の頃チョロQで遊んでいた大人のコレクションにもなっているようです。僕も、コレクションはしていませんがときどき買います。一個350円。
さらに最近ではチョロQの大きさのラジコンまであり、ミニカー大・全長4.5cmのチョロQが、自由自在に操作できるんですよ。ちょっと前まで信じられなかったくらいのハイテクです。
当然僕も購入したので、ときどき部屋の中を走らせます。シャー。ビィーン。
そして寂しくなってやめます。
一人じゃもたないよ!誰か僕とレースとかチョロQ相撲とかしてください!なんでみんな大人になっちゃうんだよ!(お前も大人になれ)
ああ、せめて猫とか飼えれば・・・。
 突然ですが、僕が地球上で最も愛しているもののひとつか「猫」なのです。猫とチョロQがともにあれば3年くらい時間が潰せるのに。特にこのラジコンチョロQを試したい。
 ラジコンを走らせる僕。追う猫。逃げるチョロQ。捕まえて得意げな猫。・・・ああ、幸せの完成形。

それはいいとして、チョロQとこんなに長い付き合いができるとは思っていませんでした。製造し続けてくれるタカラの努力は言うまでもありませんが、やはりチョロQというものが持つ単純さが良かったのでしょう。
 どこかで聞いたジョーク(?)なのですが、今の文明が滅亡し後世の人間がその遺跡を発掘したとき、最新のパソコンやCDは全壊、さらにはカセットテープや磁気ディスクの内容も当然消滅。・・・で、結局ちゃんと残ったのは昔ながらの壁画や石版のみで、「昔の人類は大した文明を持っていなかった」ということにされてしまった、とか。
 記録媒体に限らず単純なものほど頑強だ、というお話らしいです。シンプルイズベストならぬ、シンプルイズストロング。
 遊び道具だって、複雑になれば発売元のサポートなどが不可欠ですし、より新しいものに取って代わられることになります。50年後にはプレイステーションやWindowsなどというものは誰も知らないかもしれませんが、けん玉は確実に残るでしょう。そして、もしかしたらチョロQも。

また、単純なものの利点は頑強さだけではなく、簡単に文化や言葉を越えられるところにもあります。テレビゲームなら本体・ソフト・電力の供給、そして何より理解してもらうためのマニュアルが必要になりますが、前述のけん玉やチョロQなら、どの国の子供に渡しても、ジェスチャーだけで5分とかからず遊ばせることができます。
 
この例から考えるに、おもちゃに限らず人々に長いご愛顧をいただく方法は両極端の二つに分かれそうです。シンプルで長年愛されるものを作るか、時代や文化を反映したアイデアを出し続けるか。鈴木もどちらかの企画を考えだしたいと思います。要努力。

 
オチがないよママン。

 

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敬称のルール
基本的には敬称は「さん」です。気分で僕と同級生くらいまでの男性は「くん」女性は「嬢」となることがあります。