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子供の田舎暮らし・山


◆子供の田舎暮らし
さて、僕の子供時代の遊びについてだらだら書かせていただきます。
もしかしたら皆さんの子供時代と同じようなお話かもしれませんし、世代によってはすでに失われつつある話かもしれません。
 
少年時代の僕は、非常におとなしい子供でした。幸いにも本を買うことを惜しまない両親のおかげで、絵本や伝記を喜んで読んでいたものです。
 
しかし外に出て遊ばないわけでもなく、山も田も川もある恵まれた環境の中、歳の近い近所の子供たちと遊びまわりました。
 
さて、今日はそのうちの「山」につきまして。
僕たちの主な遊び場である山は、僕が少年時代を過ごした家のすぐ近くにありました。
山と言っても「○○山」というようなものではありません。
高台に至る途中の木に包まれた一角。登りきるとその向こうには畑が広がっている。
僕たちはその畑に至るまでの斜面と、頂上の一部に張り付いている森を「山」と呼んでいたのでした。
 
◆山の広さ
山は、狭いけれども僕たちにあらゆる物を与えてくれました。思い返すと、まるで子供のためにしつらえられたように感じるほどに。
 
そして、10歳以下の子供の好奇心を満たすには充分な広さがありました。
僕はいまだに、山の全貌を知りません。正確に言うなら、「歩いていない部分」があります。
山の東端と、山の西に広がる住宅地を知ってはいるものの、地形などに阻まれ、全てを歩ききったわけではないのです。
 
今でもたまに、あの山に行って、大人になった自分の足で歩ききってみようかと思うこともあります。
今ならきっと可能でしょう。
ですが同時に、自分の手であの「広い山」を、現実的な狭いものにしてしまっていいのかな、という思いにもかられ、実行しないままです。
 
変な虫がいて、変なキノコが生えていて、もしかしたら天狗とかいるかも知れない・・・そんな未知を犯してはいけないような気がする。そんな場所なのです。
 
ここで、「天狗!?」 と思われた方もいらっしゃると思いますが、世間が狭かった子供時代の僕にとって、何かを想像するときの舞台は全て近所でした。
必然的に、「天狗というのがいてな・・・」とか「悪い子には人さらいが・・・」なんて話を聞くとき、僕の思い浮かべる彼らは山をバックに佇んでいました。
 
カブト虫やチャンバラや冒険の舞台を与えてくれた山は、同時に恐ろしい存在が潜む場所だったわけです。
妖怪とかがいるかもしれない、と本気で思っているくせに離れられない。
もちろん子供心に「おばけなんてないさ」と思っていたこともありますが、山には離れられないだけの魅力がありました。
 
もう10年以上も登っていないあの山。でもあの当時は欠かせない存在でした。
「山が子供向けにしつらえられた」のではなく、あの頃の僕は自然の一部で、だからこそ山としっくり行っていたのかもしれません。


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