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1号:こんばんは。元気爆発、マスク1号です。
2号:え、そういうノリなの?初めに無理すると息切れするよ。
1号:そうだね(素直)。では、さっさといきますか。
1号:さて、お題は「山川海」です。
2号:山川海だったら、海かな?うん、やっぱり海が好き。
1号:そうかあ。最後に海に行ったのはいつ?
2号:3〜4年前、海岸で泳いだ。
1号:海の持つ、他の二つ以上の魅力って何?ちなみに僕は川派だけど。
2号:やっぱり、暑い時ほど泳ぐのが気持ちいい事かな。
2号:川でもいいんだけど、泳ぐなら海の方が波もあって楽しい。
2号:なんで川がいいの?
1号:まあ、僕の言っているのは川の上流だから、ある意味では山も含んでいるのかもしれないけど、自然につつまれている、という感じが好きなんだ。
1号:それに人ごみが苦手だから、川なら人の少ないところも探せるしね。人のいない海水浴場なんてないでしょ?
2号:確かに、夏の海で人のいない所なんて無いからね。
1号:食事するときなんかも、「行列の出来る店」なんて一人では絶対行かない。「並ばされる」というのも僕にとっては大きなマイナス要素だから、少しくらい味が落ちてもすんなり入れるほうが高得点。
2号:その嗜好は、別な心理テストなんかにも発展しそうな意見だなぁ。
2号:川もキャンプしてる家族とか多いけど、海程ではないものね。遠くから夏の浜辺を見てると、人が敷き詰められた絨毯みたいに見えてきて滅入ってくるし。
1号:うん。ちなみにお店に並んだことだってあるけど、友達とかに誘われて、一種のイベントとしてだよね。並ばされることをブーブー言いながら待てる気の置けない友達か、立たされながらもお話するのが楽しい人か。つまり僕が一緒に並ぶときは好きという意味です。こまごましたところはすっ飛ばして結婚を前提にお願いします。
2号:俺に言われてもよぉ・・・
1号:まあお話を戻しまして。川でも、テントとかキャンピングカーとかだーっとあると避けるよ。別にキャンプするでもなし、少し時期をはずして秋頃に行くのが好きだな。
2号:ちょっと話の展開が早いかもしれないが、僕らは釣りもしないし、山川海=レジャー=夏と結びつけてしまうから、イメージが狭まっているのかもね。
1号:スキーも、誘われることもあるし興味あるのだが、なんとなく行ったことないなあ。初心者でもどうにかなるツアーあるかな。
2号:スキーも含めれば、山は唯一夏も冬も遊べるスポットと言える。
1号:冬の日本海で遊んでるのは演歌歌手くらいだもんね。
2号:沖に出るのは命がけだしね。川だって心臓に悪いし。釣りなら別だけど。
1号:でも、さっき2号は「遊べる」と表現したけど、山って「遊び」というイメージじゃないのよ、僕は。
2号:山登りは遊びにはならない?
1号:日本人は(外国でも?)目標や大きな仕事を山や道に例えるけど、そこまで大きな話でなくても、山って登りきらなきゃならないイメージで・・・。
1号:海や川なら、「さて、あがろう」という自分の調節じゃない?でも山だと、「頂上まであと30分か。でも疲れたから帰ろう」とはなかなかしにくい。
1号:ゴールというか、唯一普遍の「頂上」があるわけですよ。
2号:でも、ロープウェイなんかを使って頂上に行って展望を楽しむのも、十分山の楽しみ方ではあるよね?
2号:天然の東京タワーとも言えるわけだし。
1号:そうだねえ。軽いハイキングとかもあるし。でも「山」という言葉には何か重いものを連想してしまって。
1号:天然の東京タワーか。うっそうと繁る森の中に蝋人形がズラーッと。
2号:蝉人形?
1号:東京タワーって、蝋人形館なかったっけ?
2号:あ、蝋人形か。セミ人形かと思った。
1号:あ!山といえば虫!
1号:そうだ、固定観念に捕らわれていたなあ。子供の頃しこたま山で遊んだじゃないか。
1号:セミの脱皮とか夜中に観察したよ。
2号:虫は小さい頃は好きだったけど、大人になってからは怖くて・・・
1号:例えば?カブト虫も?
2号:一匹なら大丈夫。でも例えば、何匹か捕まえてきたヤツを箱に入れといて、その箱が知らない内にひっくり返っちゃって、家に帰ったら部屋の中をウジャウジャ歩いてたりしたら・・・怖ッ!!
1号:その妄想が怖いよ。しかも別に怖くないだろ、カブト数匹って。
2号:いや、虫の持ってる生命力が怖いの。あんなに小さいのに、物凄く生きてるんだと感じさせる強さが怖い。
2号:ただ、都会の中で虫と接する機会が少なくなったのも要因だと思うけどさ。
1号:むつかしいこと言い出したな。結構なことじゃないか。生命力。
1号:でも、確かに現代の僕らは生々しさというか、むき出しの生命や、そのやり取りとか縁遠くても生きていけるからね。
2号:そうそう。山と接してちょくちょく他の生命に触れていれば、そんな感覚も覚えなくなると思うのだけど。
1号:中国に行ったときに見た市場では、鶏などが生きたまま売られていた。家庭でちゃんと絞めて料理できる人がいるんだ。
2号:ほう!
1号:当然ながら、その人は「食べるためにこの命を奪った」ということをちゃんと自覚できているんだろう。もしくはもはや意識せず、当たり前のことを当たり前にしている状態なのかもしれないけど。
1号:僕だって、鳥が絞められる光景には慣れていないけど、だからと言って僕の方が優しいとかじゃないよね。僕は鳥を絞める手間を他の人にやってもらって食べているんだ。
1号:まあ、それを悪いこととも思っていないけどね。そういうお仕事の人がいて、対価を払って手に入れているんだから。
2号:ただ、命を奪う瞬間を目にせず育ってる分だけ、食べるとか生きるとか命とか言う事への
2号:感覚は鈍ってるのかもね。理屈と言う意味ではなく、表層意識の中にある感覚というか。
2号:ちょっと脱線気味かな。
1号:いやいや。どんどん脱線していこう。2号の言うとおり、鈍りすぎて命を奪っているという感覚をなくしていくと、全く命への感謝をなくすか、または「命を奪えないから何も食べない」というどちらかになっちゃうかもね。極論だけど。
1号:狩人が、獲物の霊を祭ったり、
1号:神が与えてくれたと解釈して神の使いとして扱ったりするという習慣は日本以外でも見られるもんね。
2号:確かに畏怖という感覚は、自然とか命と結びついてると思う。
1号:単に罪の意識から逃れるためと言ってしまうことはできるけど、やはりそこには自分より大きなものへの畏怖というか、「動物」「木」「空」という別個の存在ではなく、
1号:「自然」という一個のものへの感謝と畏れがあったんだろうねえ。
1号:まあ小理屈いっているだけで、僕自身それほどのエコロジストでもないけれど。
1号:ところで2号は神様とか精霊とか幽霊とかは信じてる?
2号:昔は「あるかも」と思ってた。ちょっと前は「あったらいいかも」と思ってて、今は「無いだろうけど、そういう感覚も本来人間には不自然なものでは無いんだろうな」と思ってる。
1号:多分それがバランスのいい考え方だと思う。僕もだいたいそんなとこかな。みんな「そんな存在はいないだろう」と言っているし、有名な先生もいままで習ったこともそれを後押ししている。
1号:でも、キャンプや野宿、暗い山道などを歩かなければならないとき、その常識が、少なくとも僕のものは非常に薄っぺらいと思い知らされるよ。
2号:もちろん、僕もだけどね。トンネル歩いてる時なんか、圧迫感と孤独感が凄くて、幽霊見てもおかしくないなって思うもん。
1号:野宿をしたときなんか、突然天狗や幽霊が出ても僕は驚かなかったと思う。正確には、現れたことには驚くだろうけど、存在への疑問は普段の常識ほど大きくなかっただろう。
1号:「ああ、やっぱり森の奥には僕の知らない存在がいたんだ」とある意味納得したと思う。それくらい僕の世界は脆い。
2号:やっぱ怖いものは怖いよ。暗いのは嫌。
2号:いくら非科学的な事を一切信じない人でも、暗闇に対する恐怖は消せないと思うんだよね。人間の根源的な恐怖対象の1つだから。
1号:うん。普段の常識や強がりは、周りの人とか明かりとか家とか、物質が心をカバーしてくれているおかげなんだよね。
1号:さて、オチも何もついていないが、えらい時間になってしまった。
1号:ログを残しておいて、後日続きをやろうよ。
2号:了解。まとまりが無くて悪いね。
1号:では、切ります。おやすみなさい。
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